大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和24年(新れ)38号 決定

本店事務所

和歌山市十番丁九番地

株式会社新谷百貨商事

右代表者取締役

新谷伝吉

本籍

和歌山市本町二丁目一七番地

住居

同市一〇番丁九番地

会社取締役

新谷伝吉

明治三四年八月二日生

右法人税法違法被告事件について昭和二十四年六月六日大阪高等裁判所の言渡した判決に対し各被告人から上告の申立があつたので当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する

理由

各被告人弁護士安達勝淸の上告趣意について。

上告の申立は、刑法四〇五條に定めてある事由があることを理由とするときに限りなすことができるものである。同四一一條は、上告申立の理由を定めたものではなく、同四〇五條各号に規定する事由がない場合であつても、上告裁判所が原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めた場合に職権をもつて原判決を破棄し得る事由を定めたものである。

しかるに、所論は明らかに同四〇五條に定める事由に該当しないし、また同四一一條を適用すべきものと認められないから、同四一四條、三八六條一項三号により主文のとおり決定する。

(原審公判調書によると被告人新谷伝吉は「自分は商工会議所納税協力委員及文具商の納税協力会長である」旨供述して居る自らかくいう身でありながら、二重帳簿作成等の行為を為して事件脱税の所為に出たものである。被告会社に脱税の事実があつたことも原審挙示の証拠で明である。原審の認定に仮令数額に付き多少の誤があつたとしても原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものとは到底思えない。)この決定は裁判官全員の一致した意見である。

(裁判長裁判官 長谷川大一郞 裁判官 井上登 裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判長 穗積重遠)

参照(弁護人上告趣意書)

上告趣意書

株式会社新谷百貨商事

上告人 新谷伝吉

弁護人 安達勝淸

事件番号 昭和二十四年(れ)第三八号

上告趣意書

法人税法違反 株式会社新谷百貨商事

同 新谷伝吉

右頭書被告事件に対する上告論旨は左記の通りであるから原判決破棄の判決相成度

昭和二十四年八月十五日

右上告人 株式会社新谷百貨商事

新谷伝吉

右弁護人

弁護士 安達勝淸

最高裁判所第三小法廷 御中

右頭書被告事件に対し大阪高等裁判所が言渡した控除棄却の判決は左の二点に於て違法な裁判と思料する。

第一点 本件に対する原審裁判(以下控訴公判と略称)は憲法第三一條に違反する審判である。

即本條は適法の手続に依らざる科刑禁止の規定であることは謂うまでもないが之は凡て刑罰を科するには法律の定める正当な、刑事訴訟法の手続を経るに依つてのみなし得ることを定めたものである。然るに控訴公判は被告人側に於て刑事訴訟法第三九三條に基き第一審裁判に於て提出することの出来なかつた二個の新証拠を控訴趣意書に添布して控訴公判の適正な事実の取調を請求したのに拘らず同裁判所は單に之が原審に於ける不提出事情を弁護人に訊ねたるに止りその直接の利害関係者たる被告人に其の事情及内容を取調べることなくその儘結審したのは同法違背の裁判である。

申す迄もなく新証拠を控訴公判に於て提出した所以のものは第一審裁判の量刑の不当及事実の誤認の点を立証し仍て以て適正妥当なる再審判を求むるに在ることは控訴趣意書の全文を通じて明瞭なところであるに拘らず本件控訴裁判所は之を看過したこのことは、新刑事訴証法の全精神に徴して之を見るも明僚で違法の措置たるを免れ得ないと思料するものである。何故ならば新刑事訴訟法は覆審の制度を渡したが続審の制度を採用していることについては異論のないところであつて断じて一審制度を採用していないからである。

今若し控訴裁判所が行つた裁判が本件公判調書通の裁判であつたとすればそれは三審制度の特質を無視した一審制度の裁判を行つたものと認めても敢て失当とは考えられないであろう。

上告弁護人は新刑事訴訟法の運用について控訴審の在り方に関し二点の疑義を有つて居りこの二点は何れも最高裁判所に於て、或は判例又規則に依つて明示さるべき事項だと思料するものであるが本件控訴公判は明に次の二点に於て誤謬を犯していると思う。

即控訴公判はその法規の示す如く結審であること、弁護人が弁論の当事者であることには原則とせられているが同法第三九三條第一項後段の如き場合に於ては裁判の受益権者は被告人であるから被告人も亦弁護人同様に当事者として出廷する権利が與えられている。

従つて斯る場合に裁判所が被告人及関係者の出廷を求めて新証拠について釈明を求めざる限真相を把握することが出来ないことは自明の理であつて真実発見を生命とする裁判の公正を過たしむる虞があるのみならず刑事訴訟に於ける上告審の裁判とその内容形式共に大差なき形式裁判となり名は三審制を採用しながら実は一審制を採用したと同一の結果になるのではあるまいか。斯くては、続審たる第二審が第一審の延長としてその足らざりし点を補正すべき使命を沒却するは勿論憲法の精神にも違反するものと謂わねばならね。換言すれば控訴審と上告審とは固よりその請求理由を異にするが、その審判の在り方に於て名実共に同一であつてはならないと思うが遺憾ながら本件控訴公判は第二審の性格を逸脱したものであると言うのがその一点である。

次にその二点は新刑事訴訟法に於ける、控訴公判の口頭弁論の在り方であるが本件上告弁護人の理解するところでは控訴審に於ける口頭弁論も第一審に於ける口頭弁論もその基本的性格は同一のものであると思うが今若し控訴公判に於て裁判所が單に控訴趣意書を援用した陳述の程度を以て弁護人の弁論がなされたとし之に対し検事も本件は一件記録に徴し控訴理由なしとの抽象的意見の開陳があつた程度で弁論を終結した場合、果して斯くの如きを法所定の口頭弁論がなされたと言い得るであろうか。況んや被告側の主張する事実に関し、或は法律解釈に関し原審と見解を異にする場合には前陳の程度では口頭弁論があつたと看破すべきではなかろうと思う。

本件も亦叙上の例と軌を一にする即控訴趣意書を査閲すれば容易に判明するが同書には原審の事実認定、法律解釈、刑の量定新証拠の提出等々の問題について主張するところがあり論議を交わすべき点が多々あるに拘らず之を默殺し理由の内容を明示せざる検事の意見のみで結審したことは果して法規の要請する口頭弁論がなされたと認むべきではあるまい。

凡そ控訴裁判所は検事被告人若しくは弁護人の請求に依り事実の取調をなす義務と職権で事実の取調をなす権利とを併有すること法に明記せる通であるが同時に之を行うと否とは裁判所の特権だとしてもその取調ぶべき事項が犯罪の成否、又量刑の上に重大な影響を有するものである場合には裁判所は進んで眞実発見のために之が取調をなすべきであろう。

因り公判運行の主体性は專ら裁判所に在ると同時に裁判所がした処分については之を争うべき法的事由のない限被告人は之が処分に承服する義務があろう、然しそれには裁判所がその基本手続に於て合法であること及判断が学理條理に合致することを前提要件とするものであるが仮にその判断が完全な口頭弁論を経ざるため学理に反するが如き結果に到つたときには裁判所に正規の口頭弁論の手続を履踐せなかつた責任があるのではあるまいか。

蓋し口頭弁論は裁判所、原告被告人の三者が協力すべき口頭の訴訟状態であつて之等の三者に於て係争点が具体的に論証しつくされて初めて口頭対審の実が達せられる訴訟手続であると思料するものであるが今若し本件控訴公判の審理の跡を記録に依つて調査するに遺憾乍ら右の手続が正規に履踐されないで形式上控訴趣意書に基いて口頭弁論を行つたものの如くされているが実質は書面審理に依つて審判がなされたものと解せざるを得ない。

以上之を要約すると本件控訴公判は事実の取調及口頭弁論の範囲方式が他の訴訟手続に見るが如き詳細なる最高裁判所の規定が缺如している関係から適法なる訴訟手続が履踐されなかつた所謂憲法に違背する審判であると思料するものである。

第二点 本件に対する控訴公判は刑事訴訟法第四一一條違背の審判である。

即、控訴公判に於て控訴趣意書第一点の店舗改造費に関する事項及銀行借入金に関する事項は何れも税法上損金として控除さるべきものと控訴主張に対し同公判は共に全額益金として税法の対象となると判定した之は明に会計学理に反する認定であつて破棄を免れる審判であると思料する。

その詳細は下記の通りであるが内容が会計理論に関する性質を帶びるため学理的な説明に言及せざるを得ないことを諒とせられ度、

(イ) 店舗改造費の処理に関し控訴公判の判決文を見るに借家法第五條を背景として「一応は被告会社支出の改造金額」を将来「賃貸人にその造作を買取るべきことを請求する権利があるから」之を金銭に見積つて債権として計上すべきもので損金として控除すべきものでないと判定している。

扨て斯る会計上の処理方法については勢い学者の説に拠るの他はないのであるが例えば自己所有の建物に対する増築改築の場合には次の点を、細密な検討すべきことが要請されている。三辺金蔵著、「会計監査」、に依れば会計監査に当つては、

「其の増築、改築を代表する費用及建物の能力を眞に増大するに役立ちたいと思われる費用部分のみが建物勘定に借記せられ、(即、資産として計上せられ)維持修繕のための費用に過ぎざるものが借記せられあるが如きことなきや否やを検査するものである」同一二七頁とある。改築の場合には今迄存在し来た使用し得る価値ある建築物の一部を取毀してそこに別の新たな建築を行うものであり真に建物の価値に齎らした増加価値部分は新しい建築費用より取毀しの費用及大体それと同一部分を回復するに要すると推察される費用部分を差引きたる残額に他ならないと考えられ改築に要した費用の中この残額に相当する部分のみが眞に改築に依り建物勘定に増額さるべき増加価値部分であると考うべきである。

この費用区分の差を嚴密に追求するとすれば三辺氏の言う如く、

「幾許が維持修繕のための費用にして幾許が増築改築に役立ちたりと見做すべきや判然たらすと言う場合もあり得るであろう」が斯る場合に明確に斯々の処理をすべしと言う規定もなく良識に従つて処理せられているのである。即、「疑わしき部分は維持修繕の費用となすを、原則として事に当る時は実際に於て問題となること多からさるべし」、「同氏同書一二七頁」とされている。

この説は三辺氏一人ではなく他の合計学者の通設とするところである。同説太田哲三氏「新訂商業簿記」(第一三八頁)

然らば石の建築物が他人の所有であつた場合は如何と言うに、建物の所有者に将来請求の得る金額、換言すれば建物の所有者が将来支拂つてもよいと思うであらう金額は年度を経るに従つて、生ずる減価問題とせずとしてもその建物が直に価値を増加せる部分についてのみであろうことは條理上当然のことでありそれ以上の金額は之を要求することが無理であり又建物の所有者としても支拂うべき性質のものではないと考えられる。従つて右の如き場合に有る被告会社としてはそれが自已の勘定に増価々値として認められる部分のみが資産の増として考えられそれよりも多額を計上することは正しき解答ではないと考うべきであろう。

従つて判決文に見る如きその総額を権利の金銭評価として処理することは理論的に正しくなく又現実の利益でない。将来木室のものをもつて資産の増と考えることは株式会社の社会性に徴しても不合理な判断と言うべきであろう。

(ロ) 銀行借入金については次の様な理由で誤判がある。

会計学上簿記に於ける損益計算は一定の期間を区切つて之を損益計算の單位とする。之は事実上の境界に依るのでなく計算上の便宜に依り、一つの計算單位として之をその計算期間とするのである。即ち損益の計算は総べてこの決算期間に従つて行わればならない。(注、太田哲三著「新訂商業簿記」第五版第八頁)

法人税法にはこの期間を事業年度と称し事業年度毎に打切つて普通所得を計算するものとしている。

本件について直截簡明に述ぶれば控訴公判の判決は我国は勿論世界の会計学書簿記書に現われたる一般的な複式簿記会計上の計算原理たる「貸借平均の理」を無視し又正常なる期間計算方法に依る処理の結果たる銀行借入金について之を当事業年度外のものと盲断して居るが之は会計学理論及び簿記原理を無視した誤れる結論である。之を文献に求むれば「三辺金蔵著」「会計監査」には次の様に記載されている。即貸借対照表作成当日に於ける当座預金残高に対して「貸方銀行欄に記入しある当方振出し小切手にして未だ銀行に支拂の為呈示無きものは其の金額を上記残高(即ち銀行の残高報告に依るもの)より之を差引く(四二頁)とありその計算例を当該書の次頁に掲げて居る。

同一の説明は前掲太田氏著書第九二頁にもあり又更に詳細丁寧なる説明を求むる時は近藤弘治著「会計上の虚僞と誤謬」第一六七頁より第一七〇頁迄を参照することに依り明瞭に知悉せられ得るのである。

何が故に銀行の残高より当方振出小切手にして未だ銀行に支拂の為、呈示なきものを差引くかと云えば小切手は振出されたる場合その取引の相手勘定として処理される勘定口座は資産の増加損費の増加或いは負債の減少の何れかであつて同一金額の変化を伴うことは貸借平均の理に依り明らかである。本件被告会社の場合は趣意書添付の紀陽銀行の証明書に依り三〇の小切手は負債たる買掛金の支拂の為に夫々

六月二七日 二万一千六百五十六円六十銭

六月二九日 一万円

六月二九日 四万八千二百五十円

計 七万九千九百六円六十銭也

が決算期(六月三十日)到来の日迄に振出されたものであつて三口とも七月一日以後(決算期後)に支拂われたることは直ちに明白である。総べて小切手は提示に依り直ちに支拂われるものなるが故に銀行へは決算の当時提示せられて居なかつたと考えることが出来る。振出の日より銀行に提示される日迄に期間の存する理由は銀行渡りその他の理由に依り常に存在し得るものである。右の理由に依り検第九号証記載の当座予金残高八千七百四十七円三十銭は会計係りの知識不充分の為に生じたる計算上の誤りにしてこの金額より更に前記三口の未提示小切手の金額計七万九千九百六円六十銭を差引き右の金額七万一千百五十九円三十銭(借越金)が眞実の銀行預金残高であると言う事となるのである。

判決書に云う所の「金額に相違がある」と言え説明は三口の合計七万九千九百六円六十銭とその差引額が七万一千百五十九円三十銭であるという説明の前後関係を見失つた結果生じたる当らざる答案であると考える。

逆に之が当期の計算と関係なきものと考える時は(この場合の仮設は高裁の判決に相当する)買掛金の支拂のみが決算諸表の上に現われ仕訳の処理上相手勘定たる銀行勘定を無視したる形となり之が記載を為さゞるものとなり貸借の平均が失われる事となり当然誤りたる結果を齎らすのである。又更にこの小切手が実際に支拂われたる日にのみ帳簿に記載さるべきものなりと主張されるのだとすれば先に小切手を交附して支拂つた買掛金は未だ支拂われて居ない事となり買掛金の残高は同じ金額七万九千九百六円六十銭だけ増額せられたるものを正当と考えねばならない。即ち何れの点よりするも判決の内容は明らかに誤つた判断に導かれている。従つて小切手が六月に振出され七月に支拂われて居る故判決は当事業年度の計算として負債に計上すべきであつたことを指摘するのである。

以上の次第であつて本件上告論旨第一点の如きことが若しその理由なしとして棄却されんか新証拠提出に従つて裁判の是正を求むる救済手段は閉され事実上三審制が一審制として実施されることになり被告人は一本勝負でその生命を絶たるが如きことになるのであろう又第二点の如く会計学上の原理が無視さるる様なことになれば一切の化学方程式を否定するに等しき結果に立ち到るべきは必然であろう。

凡そ此の種税法違反の案件に於ては「詐欺又は不正の行為」が司法判断さるべきもので税金の逋脱金額は行政判断の事項と考えるものであるがその司法判断の前提には行政判断の事項が明確にされねばならぬのであるのに本件はその行政判断事項が審理不盡のまま鵜飮みにされて訴訟が進行された感のあるのを遺憾とするものである。若しも脱税金額について明確なる取調がなされ然る後判決に之を確定さるるに於ては被告人も亦当然之に承服するところであるが之が取調を十分になさずして処断することは刑の量定の上にも至大な影響があると思料し茲に敢て上告審の公平なる御裁断を仰がむとするものである。

以上

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